乖離性障害

2021年4月22日木曜日

不明確


世の中には 確かな事は

ものすごく少なくて…


もしかしたら無いのかもしれない


そんな風に思える時もある


例えば 人の寿命

例えば 明日の天気

例えば 5分後の自分


サイは振らなければ分からない


幾ら確率を計算したところで

それは あくまでも確率に過ぎず

確実ではない


そうである可能性の話


いつだって人は 手探りで

可能性を探りながら 生きている


人は確かなものが好きで

揺るがないものを求める…


不安で仕方なくて

つかまれるもの…しっかりと寄りかかれる

そんな存在を探してる


人の一生は どれ程考えても

お金を出しても 推し量れなくて

いつまで どこまで 走れるか分からない

そんな人生を あらゆる理由をつけながら

走るしかなくて…


そんな事や あまりにも見えない未来に

不思議なくらい 絶望して

ドロップアウトする人も居るわけで…


ふと 何を頑張ればいいのか

なんの為に 頑張るのか

見失う瞬間も ある訳で…


全ての答えは出なくても

答えを執拗に求める自分もいて


結局 頭の中で手詰まりになって

結果も見ないまま 終わらせたくなる


もしかしたら 5分後の自分が

結果を見せてくれたかもしれないけど

その5分が待てなくて…


世の中には 無責任に

「明日には…」なんて 未来を予測したように

言う人も居て その不思議な希望に

踊らされたりして


人生程不確かなものはない


こうしてる時も 確かな5分後は無いわけで…


自分で全て決めてきた…なんて事

あるはずなくて


あくまでも 結果論でしかなくて…


結果良ければ全てよし…なんて

後付けサクサクでしかなくて…


今を生きてる その瞬間さえ

コントロール難しくて


それは 心も時間も体感も全て

後になってわかること


不確かな世の中に

明確なことなんてなくて


それでも 必死に生きて

全うする人生は 光そのもの


眩しくて 眩しくて…


存在するだけの人生など

ありはしないと 思う


存在する以上 必ず何かしらあって

ただ 存在するだけなど無理な訳で


そこで苦しむ人を どうすくい上げるのだろう


とどのつまり 自分をすくい上げるのは

自分しかいないのではないだろうか


誰にも 本当のところは

分かりはしない…


人の思いは とても複雑で繊細で

何より不確かだから

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